kisei
小林紀晴という作家を知ったのは、僕の好きな写真家が彼の本を愛読していたからだ。
手に取ったその本にはアジアを旅する若者の写真が並んでいた。
しかしその写真たちはアジアに惹かれていた僕を魅了することなく、ただコバヤシキセイという発音だけが記憶に残った。
数年して、ある席で僕は小林紀晴と同じテーブルについた。
片隅で静かに会話を聞いている、黒縁の眼鏡をかけた雰囲気のある人がその人だった。
「小林です」と言って手渡された名刺に書かれた漢字と、頭の中のコバヤシキセイとが繋がるのに時間はかからなかった。
帰り道に興奮しながら友人の写真家に電話した事を今でも覚えている。
特別な話をしたわけではないが、この日から僕は小林紀晴の著書をよく手にするようになった。
僕と同じ時代の空気を吸い、おそらく同じような光景を目にしてきた彼が何を感じ、どう表現してきたのか。
それを知れば知るほど彼と彼の作品に惹かれていった。
「はなはねに」という繊細な写真集を、僕はこれから何度も何度も見返すのだろう。
僕が写真を撮る理由の一つがここにあるからだ。
あたかも東京の人であるかのように振る舞う事を辞めた彼がこれから何を見ていくのだろうか。
もしかしたら、それは僕が目にしたいものかもしれない。