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new flat

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今までの自分とは違う何者かにならなくてはいけない。

そんな強迫観念にも近い気持ちを抱きながら毎日を過ごした1年がありました。
それは当時住んでいた街と僕の周りにいた人たちへの順応か、あるいは反発だったのだと思います。

全く新しい人間関係やそれまでとは異なる環境は興味深いものではあったけれど、
芸術家のような破綻した生活に僕は違和感を感じ続けていました。
他人の靴に自分の足を入れてしまったときのような。

ある意味で僕はそれまでとは違う自分になれたのかもしれない。
そう思えるようになったのは「今までの自分」に再会してからの事です。

大きな声を出す人はあまり好きではないけど、
その必要は声量の限界を知るという意味であると思うのです。
冒頭の1年は、きっとそれを知るための時間だったのだろうと理解しています。

地均しの終わった平地に何を築くか。
今はまだフラットな状態でありたいと思っています。

コメント (1)

satosy:

人工的な地均しの後は自然沈下を見越して、しばらく放っておいたりもする。

自作CDを編集するとき、連続再生で次曲に移るときのブランク(空き時間)を必ずもうける。これが無いと次の曲に気持ちが移らないから聞きづらいんだ。音がない時間も大切なんだよね。

ある演奏家は、無音も重要な音楽のファクターだと言った。
止まる事、動かない事、変えないこと、、、重要な人生のファクターだよね。

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