2009年3月30日に日本に帰国し、その後1ヶ月をかけて僕はあらゆる種類のうんざりする手続きを完了させ、仙台市若林区のアパートの1室に腰を据えてパチパチとキーボードを打っています。
そう、日本での生活の基盤がようやく整い、インターネットを介して世界とつながることにも成功を果たしたのです。とても長かった。
帰国後2−3日は、あらゆる1年ぶりの東京の光景がとても新鮮に目に写り、地下鉄のゆっくりと停車し、なめらかに発進するその奇跡的な運転技術と人々への配慮に畏敬の念さえも覚え、また同時に車両の床の輝くほどの美しさにも驚きを覚えたほどでした(地下鉄ばかりだな)。そして、バナナの皮というのは本来的に路上に哀れな姿で放置されているものだという1年間で「拾得」した暫定的な常識もきれいに捨て去ったのでした。
多くの未現像フィルムを抱えて帰国をしたわけだけれども、その多くはもう少し時間をかけてゆっくりと開封して行こうと思っています。故に、この1年間で記憶が薄れかかっていた日本の風景をこのmonsoon上で確認して行く事にこの先の時間を費やそうと思っています。他でもない自己の確認のために。
東京都世田谷区の僕が住んでいたフラットからは富士山を望むことができました。晴れた日に近所の商店街を歩き、夕方に家に戻ってから見る夕景は僕が好む風景の一つでした。Mt.Fujiの横に沈む太陽。
次回は、【第2話 宮城県仙台市青葉区】