エジプト考古学博物館でツタンカーメン王の黄金のマスクを眼前にしたとき、
僕は、僕が現在持ち合わせている「生命」はあくまでも生命の一形態にすぎないのであって、
それはカタチを変えて存在しうるものなのだということを思い知らされました。
水が固体、気体、液体と姿をかえて存在しうるように、ツタンカーメン王の生命はその黄金のマスク
となってここにこうして生き続けているではないかということです。
一つの完璧な、もしくはかつて完璧であったこうした物体を目にしたとき、同じような思いは僕の脳裏を
いつも横切るのです。サンピエトロ大聖堂(ローマ)の中には、ミケランジェロによって生命を吹き込まれた
キリストとマリアが「ピエタ」となって存在し、ルーヴル美術館(パリ)にはアンティオキアのアレクサンドロス
によって生み出されたミロのヴィーナスが両腕を失ってなお完璧に生き続けているのです。
それまで、教科書の片隅で目にしただけの「歴史的遺品」に過ぎなかった物体は、それらを眼前にしてはじめて
カタチを変えた生命をも感じさせるに至ったのです。
世界はまだまだ目にすべき(したい)生命で溢れています。
次回は、【第15話 イタリアの彫刻】